治承4年(1180年)挙兵した新田義貞が寺尾城に兵を集めたとあり、これが寺尾中城ではないかと云われるが定かではない。
応永4年(1397年)尹良親王が寺尾城に籠もって世良田政義の支援を受けたが、上杉憲定によって攻略され信濃の諏訪へ逃れたという。
寺尾中城は観音山ファミリーパークのある山の東側の尾根に築かれている。 現在は遊歩道が整備されており簡単に訪れることができる。
寺尾中城は主郭を中心に東西の尾根に曲輪を展開しており、堀切で区画された曲輪が東西に三つ並んでいる。観音山ファミリーパークの東端から入ると遊歩道があり、この道が城の外側を巡るように付けられている。主郭の西下には大堀切と堀切の二条があるが、内側の大堀切は遊歩道となっており、もともと堀切かどうかわからなかったが、手持ちの図面では遊歩道が描かれておらず、堀切として描かれているので、堀切に遊歩道を通したもののようである。
観音山ファミリーパークに駐車場がある。ここから東へ歩いて行くと自然歩道への入口があり、そのすぐさきが城域となる。
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