文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁
城 主
木部氏
歴 史
築城年代は定かではないが木部氏によって築かれた。
木部氏は源範頼の末裔といわれ、戦国時代の城主木部範虎は
箕輪城長野業政の娘を娶っていた。
永禄6年(1563年)武田信玄が上野に侵攻したとき、範虎父子は木部城を捨て
箕輪城に逃れた。
信玄は木部城に陣して
倉賀野城を攻めたが落とせなかった。
しかし、翌永禄8年に
倉賀野城、永禄9年には
箕輪城をも落とした。
後に範虎は武田氏に降伏し、天正10年(1582年)武田勝頼が天目山にて自刃した時に、それに殉じて討死している。
子貞朝は豊臣秀吉による小田原の役で、
小田原城に籠城し討死した。
説 明
現在は城址に心洞寺が建ち、木部城主之廟や木部氏に仕えた須川氏の墓所がある。
土塁のようなものがあるが遺構かどうかは不明。
案 内
最寄り駅(直線距離)
1.4km 山名駅
2.0km 倉賀野駅
2.1km 高崎商科大学前駅
2.2km 西山名駅
2.5km 北藤岡駅
所在地/地図
最終訪問日
2007年5月