築城年代は諸説あり定かではない。
永禄3年(1560年)桶狭間の合戦で今川義元が敗死すると城主飯尾連龍は氏真と絶縁し家康に通じたため氏真は永禄6年(1563年)と永禄7年(1564年)に二度に渡って攻撃した。
しかし、城は落ちず結局講和するが永禄8年(1565年)連龍は氏真に駿府城で暗殺された。
永禄11年(1568年)家康は酒井忠次を派遣して城を接収し支城とした。
永禄12年(1569年)
掛川城に籠る氏真を降伏させ伊豆に追いやった家康は引馬城を取り込んだ
浜松城を築城し本拠とした。
現在は東照寺の境内に石碑が建つのみで遺構はない。