築城年代は定かではない。 古くは承久年間(1219年〜1222年)頃に吉良氏の祖、足利義氏が城を築いたとも云われるが諸説あり定かではない。
戦国時代には今川氏の支配下となっていたが、桶狭間合戦で今川義元が討死すると徳川家康が攻めとり、酒井正親を置いた。
天正18年(1590年)徳川家康が関東へ移封となると近江国八幡山から田中吉政が入封する。関ヶ原合戦の後に田中吉政は筑後国柳河に転封となる。
江戸時代には譜代大名が入れ替わり城主となった。
和暦(西暦) | 事象 |
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慶長6年(1601年) | 本多康俊が下総国小篠より二万石で入封。 |
元和3年(1617年) |
本多康俊は大坂の陣の功により近江国膳所に転封。 下野国板橋より(大給)松平成重が二万石で入封。 |
元和7年(1621年) |
(大給)松平成重は丹波国亀山に転封。 本多俊次が近江国膳所より三万五千石で入封。 |
寛永13年(1636年) | 本多俊次は五万石で伊勢国亀山に転封。 一時天領となる。 |
寛永15年(1638年) | 下野国山川より太田資宗が三万五千石で入封。 |
正保元年(1644年) | 太田資宗は遠江国浜松へ転封。 |
正保2年(1645年) | 上野国安中より井伊直好が三万五千石で入封。 |
万治2年(1659年) |
井伊直好は遠江国掛川へ転封。 相模国座間郡より増山正利が二万石で入封。 |
寛文3年(1663年) |
増山正弥は常陸国下館へ転封。 下野国足利郡より土井利長が二万三千石で入封。 |
延享4年(1747年) |
土井利信は三河国刈谷へ転封。 三河国刈谷より三浦義理が二万三千石で入封。 |
明和元年(1764年) |
三浦明次は美作国勝山へ転封。 出羽国山形より(大給)松平乗佑が六万石で入封。 以後、(大給)松平氏が続いて明治に至る。 |
西尾城は西尾駅の西側一帯に築かれていた。現在は西尾城址公園として整備されている。
主郭は西尾神社や丑寅櫓がある一帯で、北側の旧近衛邸のある一帯が二之丸である。 西尾城は天守が二之丸にあった珍しい城で、現在は天守台や丑寅櫓、二ヶ所の張り出しのある土塀などが復元された。
公園の無料駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)