建永元年(1206年)頃に築かれた寺院である。
三河国三か寺の一つとされ、永禄6年(1563年)に起きた三河一向一揆では本證寺の空誓(蓮如の孫)が門徒に激をとばしてその中心となった。
この一揆では一向宗の門徒ばかりでなく多くの国人・土豪が終結して松平氏の兵力を上回っていたが、永禄7年(1564年)空誓率いる本證寺の一揆軍が家康に敗れ、寺内不入の確認などを条件として和議となった。しかし、家康は一向宗を禁止するとともに寺を焼き払い空誓は足助に逃れた。
天正13年(1585年)空誓許されて本證寺に戻り寺地を安堵された。
本證寺を中心とする平城で、本堂と隣の庫裏がある曲輪が中心となり、蓮池となっている内堀や部分的に外堀も残されている。
本證寺参拝者用の駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)