三河 安祥城みかわ あんじょうじょう
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永享12年(1440年)和田親平によって築かれた。 文明3年(一説に文明11年)松平信光が謀略によって攻め取り、以後松平清康(徳川家康の祖父)が岡崎城へ移るまで三代の居城であった。
清康は岡崎城を居城として三河に勢力を伸ばし、天文4年(1535年)には尾張国守山に兵を進め織田信秀と対峙するが、家臣に殺害される。
その後、織田信秀は三河に侵攻し、幾度となく安祥城に攻め寄せ、天文13年安祥城を攻め落とす。これに対して松平氏は今川氏に援軍を求め、天文18年今川・松平軍は安祥城に攻め寄せ奪還した。