築城年代は定かではないが内藤清長によって築かれた。
内藤氏は応仁年間(1467年〜1469年)の頃に三河に移り上野城を居城としていたが、清長の時に姫城を築き、松平氏に従ったという。清長の子、内藤家長は永禄6年(1563年)三河一向一揆では一揆方に組み入らず、家康に従って鎮圧に尽力した。天正18年(1590年)徳川家康の関東移封に伴い、家長は上総国佐貫二万石を領して移った。また内藤信成(家長の義理兄、養子など不明な点が多い)もまた、伊豆国韮山二万石を領して姫城は廃城となった。
姫城は内藤氏の菩提寺である誓願寺の北東側にあったと云われ、明治中期の地籍図から方形の城址が認められ、明治21年頃には北を除く三方に土塁が残っていたというが、現在は宅地となり遺構は残っていない。