天文12年(1543年)織田信秀によって築かれた。 城主は松平信孝で松平清康の弟である。 信孝は清康亡き後、幼少で家督を継いだ広忠の後見人を勤めたが、しだいに専横するようになり、天文12年(1543年)広忠の名代として駿府へ赴いた隙に居城である三木城を攻められ領地を没収された。
これを恨んで信孝は織田信秀に通じ、信秀は山崎城を築いて信孝を城主に据え岡崎城への備えとした。
現在は市街地となっているが、新明社の社殿の背後に巨大な空堀が残っている。中世城館でこれほどの空堀が市街地に残されているのは意外と珍しい。