三河 柿碕村古屋敷みかわ かきざきむらふるやしき
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詳細不明。城主は徳川家康の家臣山田八蔵で、天正3年(1595年)大賀弥四郎が武田方に通じたことを訴え、五百石の加増を得た。また、渥美弥三郎と喧嘩して討たれ、それが山田八蔵の塚として残っている。
柿碕町公民館の西側に不自然に残された土盛りが山田八蔵の塚で、柿碕村古屋敷はその一角を含む南方に築かれていたが、現在は宅地や畑となっている。