三河 牟呂城みかわ むろじょう
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築城年代は定かではないが永正年間(1504年〜1521年)富永正安によって築かれたといわれる。富永氏は東条吉良氏の被官で代々牟呂城を居城としていたという。
天文5年(1536年)頃には松平清康の死によって松平信定反乱を起こすと、清康の子広忠は難を逃れるために岡崎城を退去し、一時期牟呂城に在城したと云われる。
松林寺の背後の山一帯が城址で、山頂には碑があるが、辺り一面墓地となっており、明確な遺構は見当たらない。