築城年代は定かではないが嘉吉年間(1441年〜1444年)頃に寒川氏(さんがわ)によって築かれたと云われる。 寒川氏は代々寒川郡の郡司であったので寒川氏と称したという。室町時代には長尾荘の地頭となり、その後細川氏の被官となって大内郡、寒川郡、小豆島を領し、虎丸城、引田城、昼寝城を築いて東讃に勢力を張った。
大永3年(1523年)領地境の争いを機に雨滝城の安富盛方が寒川元政の所領に攻め入るが、元政はこれを敗って塩ノ木に追撃する。大永6年(1526年)大内氏に属する寒川氏と三好氏に属する十河氏が争い、三好氏が十河氏を加勢して池内城と昼寝城を攻撃しようと企てるが、元政は先手を打って二本杉を攻め、十河・三好両勢を敗走させた。これによって細川晴元は寒川氏との和睦を命じたが、安富盛方はその命に従わず長尾表で元政と戦ってこれを打ち破った。元政は池内城を失って昼寝城へと逃れ立て籠り、兵糧攻めにあったが落城せず安富氏は退いた。
元亀元年(1570年)寒川丹波守は虎丸城を阿波の三好長治に奪われ昼寝城へと退く。その後、三好氏は二度に渡り昼寝城に攻め寄せたが落城させることはできなかった。
城は矢筈山、女体山から派生した尾根の頂部、通称昼寝山に築かれている。
主郭は山頂東側の曲輪と思われ、南東側に土塁が残る。主郭から西へ伸びた尾根の先端が少し高くなって西の曲輪があり、そこに祠が祀られている。主郭から東へ伸びた尾根を下ると堀切が残る。
県道3号線沿い前山ダムにある道の駅「ながお」を目指す。そこから県道を南下すると左側に昼寝城の道標がある。そこから道標を頼りに進んで行くと登山口があり、そこに駐車可能。
最寄り駅(直線距離)