天文14年(1545年)に宇都宮正房によって築かれ、如法寺の座主が城代を務めたと『宇都宮日記』には記されている。『豊前古城記』では岡城主城井弥七郎の家臣遠藤源兵衛が城代を務めたとしている。
天正15年(1587年)城井弥七郎知房は日隈の戦いで討死した。
下川底城は佐井川と岩岳川に挟まれて東西に細長く伸びた丘陵に築かれていた。 現在貴船神社の境内に案内板が設置されている。
西の合岩中学校の東にある合河交流センターの辺りを城山と呼び、東へ伸びた台地に曲輪を連ね、現在の貴船神社の境内が主郭であったという。貴船神社の鳥居のある所が堀切になっている。
岩岳川に架かる橋の南詰に下川底城入口の標柱が建っている。ここから細い農道が主郭の神社まで通じているが、境内入り口の鳥居は狭く普通車では難しい。
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