文化6年(1809年)中津藩によって築かれた烽火台である。文化4年(1807年)江戸幕府は異国船に備え、長崎からの烽火を伝達するために各地に烽火台を設置した。この雄熊山烽火台のそのうちの一つである。
雄熊山烽火台は標高58.7mの独立丘陵に築かれている。
山頂近くには電波塔があり、烽火台は公園として整備されている。烽火台は山頂部にさらに円墳のような土盛りがあり、東に狼煙の焚き口がある。狼煙があがる上のエントツ部分は塞がれてしまっているが、焚き口は綺麗に残っており貴重である。
北西の大ノ瀬大池側から山に登る道がある。
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