詳細不明。城主は百留河内守兼貞で、長岩城主野仲氏の家臣であった。
天正16年黒田氏が野仲氏を攻めたとき、百留兼貞が黒田に内通して長岩城は落城、城主野仲鎮兼は自刃、その子は周防に逃れたが、これを追って下関で討ち取ったという。
土田城は山田川に面した自然堤防上にあり、七社大明神の辺りに築かれている。
遺構は社殿の北から西にかけて横掘やそこから落ちる竪堀などが確認できる。南は工場となっており城域の範囲は不明である。
真坂小学校の西側のあたりで、国道沿いに道標があり、神社入口に案内板が設置されている。その付近に駐車可能。
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