詳細不明。叶松城主内尾主水兼元(藤太郎)の出城と伝えられる。
追揚城は北東へ伸びた丘陵の先端頂部に築かれている。 かつては神社があったようであるが、現在は山林である。
比高わずか40mほどの丘陵であるが、巨大な畝状竪堀群の末端は西麓近くまで伸びており、山に入るとすぐに城域となる。
山上に堀切で区画した曲輪群があり、主郭は神社の基壇跡のある曲輪Iと考えられる。現状四段に区画されているが基壇跡のある部分は削り込まれており旧状は不明である。東と西に参道の石段が残っている。
曲輪IIは最も広く南端に高土塁、北側は主郭に面して浅い堀切7があるが、人為的に埋められており改修の痕跡とも考えられる。堀切7とともに東へ伸びる竪堀8の起点には丸い川原石を用いた石積があり見どころである。西側面には張出がありこのあたりの側面にも石積が残る。
曲輪の西側面には巨大な横堀6がある。作業林道が通っているので紛らわしいが、曲輪IIの張出部分で屈折している。
横堀6の下方には圧巻の畝状竪堀群5がある。六条の竪堀群で上辺の幅は約7mと巨大でそのスケールのまま麓近くまで伸びている。この竪堀も一部石積が確認できる。
南背後の尾根は二条の堀切9と堀切10で遮断、北尾根先も堀切1から堀切3の三条の堀切が確認できる。このうち堀切2については西側に竪堀が伸びていない。
以前2013年に訪れたさいには大河ドラマ『軍師官兵衛』のおかげで幟が建てられてわかりやすかったが、いまは何もない。
入口は北西麓で老人ホーム向かいのアパートと「サンフラワー京築」との間のスロープの奥にある。
最寄り駅(直線距離)