築城年代は定かではないが有吉氏によって築かれたと云われる。 有吉氏は宇都宮氏に従い代々居城し、有吉内記・有吉宮内の名が伝えられる。
黒田長政が日隈城を攻めたとき高田城の有吉内記と宮内は日隈城方に付いたという。 天正16年(1588年)有吉兵部少輔清則の籠もる神畑城が黒田氏に攻められ落城し、清則は討死したという。一説に高田城が滅ぼされたときの城主は高田左衛門忠次という。
高田城は現在の高田集落に築かれていた。北側には勅使街道が通り城はそれより一段小高い地形になっている。
高田城は四方に土塁と堀を巡られた平城であったようで、現在は宅地となっているがわずかに土塁と堀跡が残るという。高田公民館の所に案内板が設置されている。