築城年代は定かではないが池永氏によって築かれたと云われる。 池永氏は宇佐公池守の子宇佐権大宮式佐の後裔で、薦池守となって代々守っていた。
天文年間(1532年〜1555年)頃は池永筑後守房勝、天正年間(1573年〜1592年)頃には池永左馬頭重則が居た。
天正16年(1588年)黒田軍によって攻められ、池永重則は自刃して果てたという。
池永城は現在の若宮神社東側一帯を中心として築かれていた。 若宮神社の東側は「城屋敷」と呼ばれ宅地となっているが、北側には幅10m、高さ3mの土塁が東西に残っている。若宮神社の西下には厳島神社があり湿地帯となり、堀跡のようである。