築城年代は定かではないが成恒氏によって築かれたと云われる。
天正年間(1573年~1592年)に豊後の大友氏が衰退すると、長岩城主野中鎮兼が反大友方として挙兵し、成恒氏の田島崎城や藍原氏の坂手隈城、末広氏の末広城などは陥落したが、賀来氏の大畑城は天正14年(1586年)まで落城せず、豊臣秀吉による島津攻めの軍勢を迎えた。
田島崎城は山口小学校の北側一帯の微高地に築かれていた。『中津市の中近世城館 各説・総括編』によればわずかながら堀跡が確認できるとするが、ほぼ宅地や畑となっており遺構は少ない。