築城年代は定かではないが藍原左京允によって築かれたと云われる。
保延年間(1135年〜1141年)頃には藍原内記が居たと云われる。 天正7年(1579年)藍原新左衛門忠俊が城主のとき、長岩城主野仲鎮兼によって攻められ降伏開城した。その後、中津城に黒田孝高が入封するとその配下となり、天正16年(1588年)廃城となったという。
坂手隈城は山国川に面した八幡鶴市神社の境内となっている丘陵に築かれている。 西側は国道212号線の拡張によって消滅し、山上も神社の境内などとなって遺構の状態は良くない。 境内の背後に空堀、その下にも大きな空堀が残っている。