寿永3年(1184)頃に緒方三郎惟栄によって築かれたと云われる。 源義経が平家追討のため緒方三郎惟栄に命じて築かせた五城の内の一つで、緒方氏の一族加来次郎惟興が城主となり、以後代々加来氏が続いたという。
加来氏は周防の大内氏に属していたが、弘治2年(1556年)大友の軍勢が豊前に侵攻したとき、加来壱岐守成恒は戦わずに降伏した。天正15年(1587年)黒田氏の家臣栗山大膳によって攻められると、加来安芸守統直は豊後に逃れようとしたが、黒田氏の兵によって討ち取られた。
大畑城は七社宮のある微丘陵に築かれていた。 遺構は残っておらず、市指定史跡に指定されているが標柱すら見あたらない。