豊前 八屋城ぶぜん はちやじょう
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詳細不明。城主は八屋(蜂谷)氏で山田氏の一族という。
弘治2年(1556年)大友宗麟の豊前侵攻で降った地侍のなかに蜂谷隠岐守の名がある。天正15年(1587年)豊前諸将が黒田氏に反乱したとき蜂谷刑部もそれに加わっていたが、城を落とされ行方知れずとなった。
八屋城は現在の宝福寺の南側、「城屋敷」と呼ばれるところに築かれていた。
現在は宅地などになっているが、北側の堀がやや低く残されている。