築城年代は定かではないが永正元年(1504年)頃に織田久長によって築かれたと云われる。 大赤見城主の織田久長が楽田城を築いて居城を移したという。
永禄5年(1562年)犬山城主織田下野守信清によって攻め落とされ、犬山城の支城となったが、永禄5年(1562年)信清は織田信長に追われ、楽田城には信長の家臣坂井政尚が守将として入城した。
元亀元年(1570年)坂井政尚が近江国堅田で討死すると、奥城主梶川高盛が城主となった。 小牧長久手合戦では秀吉の部将堀秀政が在陣し、さらに秀吉も犬山城から楽田城へ移っている。
楽田城は楽田小学校一帯に築かれていた。かつては土塁や堀が残っていたというが、小学校建設によりほぼ消滅し、現在は北西側の校門付近に石碑と案内板が建っている。
小瀬甫庵が記した「遺老物語」に永禄元年の戦闘の様子が記されており、城中に高さ5m程の壇を築いて、その上に二重の櫓を建てていたと記され、これが今日の天守に通じる最も古い記録とされている。