長禄3年(1459年)織田遠江守広近によって築かれたと云われる。 織田広近は尾張守護代織田郷広の子で織田敏広の弟である。
文明元年(1469年)広近は木之下城を築いて居城を移し、その後は木之下城、犬山城の支城となった。
永禄年間(1558年〜1570年)には犬山城主織田信清の家老中島豊後守が城主であったが、織田信長に降り、犬山城攻めに助力している。
小口城は現在城祉公園として整備され、物見櫓や城門などが摸擬復元されている。内部には無料の展示施設もあり、小公園としては充実した内容になっている。
この城は整備される以前から堀跡と高台が残るなど、周辺の諸城に比べ残存度は高かったようである。今では完全に公園となっている。
妙徳寺(地図)は織田広近が隠居所とした万好軒跡に建てられた寺院で、広近の墓が残る。また、徳林寺(地図)は広近によって再建された寺院である。
物見櫓(模擬 櫓)
城門(模擬 城門)
小口神社の東隣が城祉公園で、南側に公園用の無料駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)