築城年代は定かではない。長江平左衛門の屋敷であったが、天正12年(1548年)の小牧・長久手の合戦で、織田信雄の家臣中川定成が守っていた犬山城は豊臣方の池田恒興によって攻め落とされた。その後、犬山城から落ち延びた残党を徳川家康が慰め、長江平左衛門屋敷を砦にして守らせたという。
田楽城は長福寺の東側一帯に築かれていた。かつては高さ2mの塚があったというが、それもなくなり、駐車場となっていたころには塚の上にあった石だけが残されていたようである。しかし現在は駐車場も宅地となってしまい何も残されていない。