『芸藩通志』では「桜尾城 北村にあり、毛利家人、桜井新左衛門所居、後石見の士、小笠原弾正長雄、姓を中村と改め、毛利氏に属し、此に来居といふ、此外に、小城とよぶあり、桜尾の属堡なりしといふ、」とある。
はじめ毛利家臣の桜井新左衛門が居たが、のちに小笠原長雄が中村姓を称してここにいたとされるが、これらを示す史料は見つかっていない。また小笠原長雄は温湯城から丸山城へ移り没している。
桜井新左衛門は毛利氏八箇国御時代分限帳に安芸山県、備後三吉合わせて133石余を領した人物が載っているが、該当人物かどうかは不明である。また竹長城を居城とした桜井氏が居るが、その関係も不明である。
桜尾城は標高510mほどの桜尾山に築かれている。
主郭は山頂にあり南北に長く南端に土塁がある。北下に腰曲輪II、東側面にも小規模な曲輪IV、V、VIがある。北西下に曲輪IIIがありここへ登る山道がついている。
北東から南東に尾根が続いているが、城が築かれている部分は周囲より小高くなっており、北と南の鞍部になる部分に大堀切1、5を設けて遮断している。北の大堀切5は南側の堀底が三条の竪堀になって落ちている。
主郭から南東に伸びる支尾根は二条の堀切2、3によって遮断しているが、その間の尾根が竪堀状になっている。大堀切1との間にも竪堀4、その西隣は小規模な堀切のようである。
大堀切1の南西側も緩斜面地形で城域に含まれていた可能性があるが、切岸も明確ではなく堀もないため図化していない。
南側に舗装林道があり、峠のところから山に入って尾根伝いにアクセスすることができる。峠の東側に駐車スペースがある。
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