築城年代は定かではないが南北朝時代に高橋氏によって築かれたと云われる。 高橋氏は石見国を本拠とした一族で、その勢力は石見のみならず安芸へも及んでおり、その一族が居城した。
大永5年(1525年)高橋大九郎統種の代に内訌が起こると、五龍城主宍戸元源によって攻められ猪掛城は落城した。以降、この辺りは宍戸氏の所領となった。
猪掛城は細川内川とその支流の間に聳える標高370m程の山に築かれている。
主郭は山頂にあり、西に高土塁を設けて内側には石積を用いている。主郭から北へ続く尾根に二段の曲輪ii、小さく四段ほどになった曲輪iiiが続き、北下に三重堀切となる。三重堀切の北側は加工の甘い緩斜面地形が拡がっているが、北尾根に連続堀切6、東側には畝状竪堀群7を確認することができる。連続堀切6の部分は現状では両側に竪堀状に伸びているが、もともとは堀切であったと思われ、一番外側も堀切であったとすれば三重堀切となる。畝状竪堀群7は不完全で横堀とも通路ともとれるところから細い竪堀が間隔を開けて落ちている。
主郭から西へ続く尾根には多数の連続堀切があり、南側面には堀切が続く竪堀と独立した竪堀によって畝状竪堀群となっている。また、多重堀切の間に曲輪状空間aがあり土塁状の遺構がある。ここから西へは下っているため、迎撃ポイントの一つとして機能していたと思われる。
整備された登山道は付いていない。 宍戸城集会所から谷沿いに南西に入って行くと神社がある。この神社は宍戸隆忠を祀ったものであるが、ここから登るのがわかりやすい。 境内左側に林道が付いており、この道のピークから山頂にむかって登ると主郭に至る。
最寄り駅(直線距離)