天文9年(1540年)尼子晴久によって築かれた。天文9年(1540年)尼子晴久が毛利氏の本拠を攻める為に安芸へ侵攻し、最初に布陣したのが風越山城である。尼子軍はその後、9月23日に吉田郡山城の対岸にある青山城と三井山城に陣替えしている。
風越山城は吉田郡山城の北西約3.8kmの所にある標高555.3mの風越山山頂に築かれている。
風越山城は尼子氏が毛利氏を攻めたときの陣城であり、山頂を中心に南北400m程の規模で陣城跡が残されている。残念ながら残雪で衣服が濡れてしまい体力を消耗したため、南端部と西側の遺構を確認せずに下山したが、東側の遺構は概ね確認することができた。
三角点のある峰が北端の曲輪で、北尾根から東尾根付近に横堀が巡らされている。山全体が雑木林で覆われているため歩ける場所が限られており、遺構の確認が不十分ではあるが、曲輪内はわずかな段差を設け、概ね平らな地形になっている。山自体が元々平な部分が多く、そのまま陣城として活用しているようである。
雑木林が多い中、南の曲輪の東端部は比較的見やすく、横矢の張り出しを意識した横堀が良好に残されている。この辺りも曲輪の造成は不十分で自然地形が多く残されている。
整備された道はないが、風越山の北東側にある溜池(地図)から尾根伝いに山道がある。割としっかりした道ではあるが、近年あまり利用されていないのか藪に埋もれつつある。
最寄り駅(直線距離)