文久2年(1862年)浅野長厚によって築かれた。 浅野長厚は広島新田藩七代当主である。広島新田藩は浅野綱長の三男長賢が祖で、兄浅野吉長が広島藩七代藩主を相続したとき三万石を分与され立藩した。広島新田藩は特定の領地を持っておらず、定府大名として代々江戸の青山に居し、青山内証分家と呼ばれていた。
幕末の文久2年(1862年)に長州藩との戦いに備えて郡山城の麓に築いたものであるが、明治元年(1868年)に廃藩置県によって廃城となった。
御本館は現在の吉田高校一帯に築かれていた。 敷地面積は2950坪で周囲に土塁や築地を巡らせ、東西に門を開き、南西隅に物見があったという。
現在遺構らしきものは確認できない。高校の北上にある郡山公園の案内地図に「浅野御本館跡」と記されている。