詳細不明。『芸藩通志』に「二宮太郎左衛門宅址」と掲載されているものであるが、『広島県中世城館遺跡総合調査報告書』では「おそらく二宮太郎左衛門就辰(正しくは二宮太郎右衛門)の屋敷跡と思われる。」としている。二宮就辰は広島城の普請奉行などを務めた重臣で毛利元就の子とされる。
二宮太郎左衛門宅は吉田郡山城の北東の山間部に築かれていた。
南側に車道があって削られているのか、現状宅地址とされる部分は狭くなっている。北の山側に土塁がある。予想に反して『二宮太郎左衛門宅跡』の石碑が建っていた。
国道54号線沿いにある内堀、外堀の地名の間から山に向かって入って行く道がある。墓地脇を過ぎてしばらく行くと鋭角に右へ曲がる道があり、それを曲がって少し進むと道が広くなっている。この北側の部分が館跡で石碑が建っている。ここまで車で行くことができる。
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