築城年代は定かではない。城主は井上氏と伝えられる。井上氏は信濃国高井郡井上庄発祥で、源頼信の子頼季を祖とする。安芸の井上氏は高田軍山県庄に千五百貫の地を与えられ、井上光純が下向して高峰城を居城としたことに始まる。光純の子光教は毛利元春の娘を娶り、以降毛利氏と井上氏が密接になったとされる。
大永3年(1523年)毛利本家の家督を元就に相続するよう要請した宿老十五名による連署状のうち、井上一族が五名(元兼・元吉・元貞・元盛・就任)居たことから、井上氏の毛利家における地位の高さを知ることができる。
毛利元就は多治比時代に三百貫の地を領していたが、その後見人であった井上元盛が横領するなど、井上氏の一族の横暴さから、天文19年(1550年)毛利元就によって井上一族の大半は粛正された。
天神山城は砂田川に面して西へ張り出した丘陵の頂部に築かれている。
主郭は山頂にあり中央部に塚状の小さな土壇がある。この周囲に帯曲輪、腰曲輪を配した小さな城館である。東へ続く尾根に面して虎口状の地形があり、内側は大きく削られ、外側には土橋状の通路が残っている。
東の鞍部に長尾神社(八幡社)が祀られており、西側の参道入口からここまで車道が付いてる。
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