築城年代は定かではないが桂広澄によって築かれたと考えられている。
桂氏は毛利の庶流坂氏のさらに庶流であり、広澄が桂村に分家して桂氏を称したことに始まる。桂広澄は大永3年(1523年)から続いた毛利家の家督相続争いで元就の弟相合元綱を擁して謀叛を興し坂氏が成敗されると、事件には直接関係はなかったが、坂氏の出ということで自刃して果てた。
家督は広澄の子元澄が相続しており、以後も毛利家の重臣として仕え、天文22年(1553年)には桜尾城主となっている。
桂城は可愛川に面して東西に長い標高294.8mの山に築かれている。桂城の遺構は大きく四ヶ所に分かれており、山上の遺構としては西城と東城、東の山腹にある屋敷跡のような大きな平段、そして桂大仙神社の境内となっている出丸である。
山上の遺構は西城と東城の二つに分かれ完全に一城別郭となっている。現在の遺構からは東城より西城の方が堅固であり、西城のほうが後から築かれたと考えられる。東城は屋敷跡と考えられる東山腹の上にあることなどから当初の詰城であったと考えられる。
東城は最高所の主郭を中心に北へ伸びた尾根に曲輪を展開する。主郭は東を除く三方の尾根を堀切で遮断しており、切岸も高く築かれている。北へ伸びた曲輪は削平状態は甘く緩斜面を残している。東側面に竪土塁があるのが特徴となっている。
北の国道54号線沿いに登山道の入口があり、そこから登ると西城と東城の間の尾根に至る。
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