詳細不明。長屋氏の城という。
『芸藩通志』には「槇城 亀山 並に長屋村にあり、共に毛利家人長屋下野の所守 一説に、下野は、佐伯興藤の後、忠弘が男なり、始中馬にあり中馬左馬介と称す、後氏を改め、此れに移る、その子亦下野と称して二代この城にし、居しと云、」とある。
槙ヶ城は比高75mほどの山に築かれており、北西背後に亀山城、平地を挟んだ東側に桂城がある。
槙ヶ城は南北にやや長い主郭があり、北端に低い土塁が残っている。切岸は概ね10mほど高さがあり、その下方は緩やかな斜面をそのまま残してある。
主郭の南側は堀切1を挟んでさらに平坦面が続いているが、曲輪ではなさそうだ。北は二重堀切2を設けている。
南麓の尾根先から取り付いた。
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