詳細不明。『芸藩通志』では「土師村にあり、毛利家人中村孫右衛門所居」とある。
土師の中村氏は甲斐国中村庄発祥で、甲斐武田氏の一族板垣兼信の子六郎頼重を祖とする。中村兼貞のとき足利尊氏に従って軍功を挙げ、上土師、中土師、下土師の三ヶ村を賜って暦応4年(1341年)に安芸へ下向したのが安芸中村氏の始まりという。
中村氏は安芸武田氏に従っていたが、中村信勝の子繁勝と元明のとき、毛利弘元の招きに応じた弟元明と、応じなかった兄繁勝は不仲となり、元明の謀略によって兄繁勝は自刃し、元明が中村氏の家督となって毛利に従ったという。
中村元明は毛利元就に家督相続を願い出たときの十五名の連署状に署名した一人である。
田屋城は土師ダム(八千代湖)の北にある比高20m程の丘陵に築かれている。現在は市指定史跡として整備されている。
現状比高20m程であるが、ダムが建設する前はもう少し高く比高40m程であったという。
現在の遺構は最高所の曲輪iからiiiまでの三つの削平地のみであるが、かつては南の道路側にもう少し曲輪があったと云われる。
この小さな曲輪群を北の山から切り離すように巨大な空堀が周囲を巡っている。さらに外側にも堀らしき痕跡が確認できるが、後世の改変によってわからなくなっている。
道路に面して案内板があり、その東側から遊歩道が設置させている。付近には駐車場やトイレもたくさんある。