詳細不明。主郭には『大迫城跡 伝承城ノ岸 中村伊勢守繁勝終焉地』と刻んだ石碑がある。
『萩藩諸家系譜』によれば中村伊勢守繁勝は上土師に住み、その弟元明は下土師に住んで武田氏に仕えていたが、毛利弘元の招きに応じた弟元明が、それに応じない兄元繁と不和になった。元明は郎党の富田某を繁勝の居城に遣わし謀って同所紅畠にて繁勝を切腹させたという。
大迫城は土師大橋の北側に聳える標高341.1mの山に築かれている。
単郭の城で、北尾根に二条、東尾根に一条の堀切を設けている。 主郭内部は低い段差で同心円状に段々となり、外側にやや高い切岸を設けている。切岸の外側は帯曲輪状の緩斜面であるが、この部分の切岸は甘い。
東尾根は直下、北尾根はやや離れた場所と鞍部近くに二条の堀切があるが、比較的なだらかな南西尾根には見あたらない。
南麓の土師ダムサイクリングターミナルに駐車可能。 整備された道はないが、円通山神社から尾根上に登って行くことが可能。また、神社の北側に谷間を通って入る林道があり、民家を過ぎて進むと砂防ダムがあり、それを越えた先で左側の尾根上に登れば北尾根から主郭に行くことができる。