築城年代は定かではない。
はじめ星野市兵衛が居城であったが後に槇ヶ城主長屋氏の領地となった。
城は桂城から国道54号線を挟んで北西側にある。
標高408mの山から西に張り出して再び高くなった標高370mの山頂に築かれ、山頂の曲輪にはh形になった土塁または櫓台とも云われる盛り上がりがある。
曲輪の北側には空堀があると縄張図にはあったが確認するのを忘れた...。
単曲輪の城なので物見あるいは狼煙の役割を果たしていたものと思われるが吉田町方向は眺望が良いものの八千代町方面はこれより高い山があり眺望がきかない。
国道54号線を走っていると桂城の案内とともに星ヶ城の案内がある。そこから山に向かって車を走らせると模擬の武家屋敷や櫓門が現れさらに進むと左手に鐘櫓が見える。
曲輪はそれとは別に正面にある展望台の休憩所があるところでここは吉田町周辺からも目にすることができる。