永徳元年・弘和元年(1381年)福原広世によって築かれたと云われる。 福原氏(ふくばら)は大江広元の次男長井時広を祖とする。応安元年(1371年)長井貞広は毛利元春の五男広世を養子に迎えた。広世が家督を継いだ後、実父である毛利元春より福原村を譲られ鈴尾城を築き居城とした。
福原貞俊の妹は毛利弘元に嫁ぎ、毛利興元・毛利元就の生母となった。江戸時代には萩藩の永代家老となった。
鈴尾城は北へ張り出した尾根の頂部、標高316mの山に築かれている。現在は公園として遊歩道が整備されている。
主郭部は曲輪iを中心にii、iii、ivとあり、北東尾根先に曲輪v、そこからさらに降った所に曲輪viiがある。背後の尾根は堀1の大堀切で遮断しており、そこから続く南東側面に連続竪堀の堀2を設ける。南背後の尾根は地山が続くが、堀5と堀6,7があり、その間に曲輪がある。
東山腹にある曲輪viiiが居館跡とされ、毛利元就誕生の碑などが建っているが、曲輪viも居館候補と言える曲輪で、背後を堀4で遮断してる。
北東麓に登山道入口があり、駐車場もある。
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