『芸藩通志』には「松笠城、火神城、高城、丹蔵城 並に本村にあり」とだけ記されており城主などは不明である。
『高田郡史-上巻』には「丹蔵山城(本村)高さ八町横百五十間松平左衛門所居」とあり、松平左衛門を城主とする。
城主とされる松平左衛門については詳細不明である。
丹蔵城は神楽門前湯治村の南背後に聳える標高492mの山に築かれている。
最高所にある主郭Iを中心に北、東へ伸びる尾根に曲輪群II~IXまでが連なっている。
主郭Iは多くの曲輪群があるなかで際立った切岸を持っており、周囲の切岸は高さ10mほどの絶壁が巡っており、どこからどのように出入りしていたのか不思議なほどである。この切岸によって東に続く尾根が堀切1、南西の尾根先が堀切2となっているが、北尾根は堀切にならなず、若干削平された曲輪になっている。
主郭の内部は東側に一段小高い土壇があり、その周囲は通路状になる。南西に向かって低くなっており、南端は低い土塁囲みのようになっている。
曲輪群IIは堀切1のすぐ外側にあり、細い尾根に小規模な段を造成したもので普請は甘い。東端から曲輪IIIまでは自然尾根になる。
曲輪群IIIは主郭から東へ伸びた尾根の先端に位置し、東西に長い曲輪で西がやや高く東側の曲輪は削り込んで一部が土塁となる。主郭についで、曲輪IVと同等程度にしっかりとした普請がされている。
曲輪群IVも比較的しっかり普請された曲輪で、東西に長いが西側は自然地形に近い。東端部にIVを最高所として段加工しているが土塁や堀は認められない。このあたりから北へ伸びる尾根にも小規模な段曲輪群V、VIがあるが、主郭に近いほうの普請は少なく、尾根先側に小規模な段を連ねているのが共通する。
主郭から北へ伸びる尾根には小規模な曲輪群VIIがあり、その先に曲輪群VIIIがある。曲輪群VIIIは主郭方面の切岸は低く不明瞭であるが、尾根先側に小規模な段造成をしており、これはこの城全体に共通する。
堀が少なく切岸のみではあるが、主郭Iの普請が際立っている。つづいて曲輪III、IV、残りは普請量が少なく、主郭側よりは北の尾根先側のほうが普請量が多い。これらのことから主郭Iがもともと単郭の城として存在していたところに、一定規模の勢力をもつ軍勢が一時駐屯し、陣城として各尾根に曲輪群を普請した結果が現在の丹蔵城の全体的な遺構となったと推測する。
特に整備された道はないが山は歩きやすい。神楽温泉当時村の駐車場のあたりから山に取り付くか、第三駐車場前の谷から入って尾根に登ってもよい。