永禄5年(1562年)安芸城主安芸備後守国虎が長崎内蔵介に命じて築いたという。
馬ノ上城は安芸城の支城として築かれたが、城兵が上夜須の田畑を荒した為、上夜須城の吉田重俊はこれを捕まえて国虎に訴えたが、国虎は抗議を聞き入れず縄を解いて犯人を許した。これに腹をたてた重俊は、城兵を農民に化けさせて馬ノ上城に侵入させ、後に一気に攻め落としたという。永禄6年(1563年)重俊が長宗我部元親に従って本山城を攻めた隙に安芸国虎は馬ノ上城に攻め寄せたが、留守を守っていた重俊の妻が薙刀を奮って留守兵を鼓舞して城を守ったと云う。
天正2年(1574年)姫倉右衛門尉を城監として置いたという。
馬ノ上城は標高46m程の丘陵に築かれている。 現在は社が祀られている他、大半が墓地となっている。
山頂は東西に城台らしきものが東西にあり、西にも削平地がある。堀は見当たらないが、尾根続きである東側は切通しの道となっている。
県道216号線から馬ノ上城へ至る道の脇に「吉田市左衛門政重出生の地」の碑(地図)が建っている。政重の祖父は小備後こと吉田重康、曾祖父は大備後こと吉田重俊である。この辺りに土居があったのだろうか。
また県道沿いにある海援隊士安岡金馬忠綱顕彰碑の裏にある安岡家の系図には、安岡長門守 馬ノ上中ノ城城主とあり、その子源兵衛が初代馬ノ上庄屋とある。中ノ城はここから西の丘陵にあった城である。
南側の道路沿いに参道がある。
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