土佐 東十万城とさ ひがしじゅうまんじょう
△トップに戻る
詳細不明。城主は長谷川大上と伝えられ、天正15年(1587年)の大忍荘検地帳には岡山城長谷川弾正と記される。東十万城の別称が岡山城と見られる。
東十万城は十万城の北東、北へ伸びた尾根の先端頂部に築かれている。
単郭の城で南尾根を堀切で断ち切って独立させ、頂部に主郭を置き、西から北へ帯曲輪を設けそこから連続竪堀群を設けている。東側面は急傾斜である。主郭には神社が祀られていたようでその跡が残っている。