土佐 山川土居城とさ やまかわどいじょう

城郭放浪記


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土佐 山川土居城の写真
掲載写真数
形態
山城(138m/50m)
別 名
山川城,平見城,中山川城
文化財指定
市指定史跡
遺 構
石積,土塁,曲輪,堀切,虎口
城 主
山川氏,上村五郎左衛門
縄張図
山川土居城縄張図
歴 史

築城年代は定かではない。

山川氏の城で、山川新左衛門は「大忍庄東川西分専当職」につくなど、畑山氏(安芸氏)と結びついていた。

天文年間(1532年~1555年)になると長宗我部氏は香宗我部氏の結び、山田氏を滅ぼした。その後、「大忍討ち入り」によって大忍庄から畑山氏(安芸氏)の勢力も一掃され、山川氏も滅亡した。

その後は長宗我部氏の家臣上村五郎左衛門の居城となった。

説 明

山川土居城は香宗川が大きく蛇行して流れる地点の、南へ張り出した山の南端頂部に築かれており、現在は主郭まで山道が付いている。

『日本城郭大系』には「62 中山川土居城」と「79 山川城」が掲載されているが、いずれも当城を示している。

山川土居城は南へ伸びた尾根の先端に主郭があり、そこから西へ伸びた尾根に曲輪を展開している。堀切の幅はそれほど広くないが、垂直に近い切岸とその深さで、群郭式のような独立性の高い曲輪群となっている。

主郭は南東の最高所にあり、北から西にかけて土塁が巡っている。主郭南東下に曲輪IIがあり、三方が土塁囲みとなるが、西の土塁は主郭虎口に繋がるスロープとなる。

主郭から北へ伸びた尾根は五重堀切で遮断しており、主郭に最も近いところと北から2番目の堀が大堀切となる。一方西尾根も大堀切で曲輪III、IVを切り離している。東側は切岸下が緩斜面となり仕切土塁が確認できるが、切岸は甘く曲輪とするには不十分な加工となっている。

西へ伸びた尾根には堀切2、3で区画された曲輪III、IVがある。曲輪IIIは北に高土塁を設け、南北二段の曲輪で、畑として利用されていたようである。曲輪IVは東の堀切側に土塁があり、土塁に面した段が一段高く、西から北が一段低い。土塁の北側は開口しており、虎口と思われる。

曲輪IVの西側は堀切4で遮断するが、堀切4から南へ伸びた堀はそのまま横掘6に続き、東端は竪堀7へと落ちている。

南山腹にはV、VI、VIIの削平地があり、一部墓地などになっているが、この辺りは曲輪であったと思われる。

案 内

香宗川に架る橋の入口に案内板が設置されている。ここから奥に進むと山腹にある民家下に駐車スペースがある。城へは右側の公園、阿弥陀堂を経由して山に入る道がある。

最寄り駅(直線距離)
5.9km 夜須駅
6.3km 香我美駅
7.3km あかおか駅
7.3km 西分駅
7.7km よしかわ駅
主な参考文献
現地案内板
香我美町史
土佐の山城-山城50選と発掘された23城跡(ハーベスト出版)
都道府県別日本の中世城館調査報告書集成 四国地方の中世城館 高知県中世城館跡 (東洋書林)
日本城郭大系〈第15巻〉香川・徳島・高知(新人物往来社)
所在地/地図
高知県香南市香我美町山川小字清藤ヤシキ
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
付近の城(直線距離)
1.3km 土佐 福万城
1.4km 土佐 末延城
1.8km 土佐 堀の内城
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2.1km 土佐 光国城
2.3km 土佐 中西川城
2.4km 土佐 宗円城
2.7km 土佐 正延城
2.9km 土佐 釣鐘城
3.0km 土佐 土居山城
3.0km 土佐 岩神城
3.1km 土佐 尼ヶ森城
3.2km 土佐 拝原城
3.3km 土佐 吉次城
3.6km 土佐 東十万城
3.6km 土佐 城山城
3.9km 土佐 十万城
4.2km 土佐 中城
4.2km 土佐 別役城
4.4km 土佐 国吉城(香我美町)
4.5km 土佐 熊倉城
4.7km 土佐 下夜須城
5.0km 土佐 刈谷城
5.1km 土佐 徳善城
最終訪問日
2022年3月
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