土佐 末延城とさ すえのぶじょう

城郭放浪記


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土佐 末延城の写真
掲載写真数
形態
丘城(140m/40m)
別 名
釜ヶ谷城
文化財指定
市指定史跡
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
末延氏
歴 史

築城年代は定かではないが弘安年間(1278年〜1288年)頃に八木為時が築いたとも云われる。

正平11年・延文元年(1356年)栗野三位中将より末延右兵衛尉信末が大忍荘東川の内、末延を賜わった。

その後、末延治部という人物がいたとされる。末延氏は天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐で長宗我部氏に従って豊後国戸次川合戦で島津氏と戦い、最後の当主は末延小太郎で朝鮮の役に長宗我部氏に従って渡海し慶長の役で討死し、子孫は帰農したという。

説 明

末延城は香宗川の北岸にあり、南へ伸びた丘陵の先端頂部に築かれている。

この城の位置は「高知県埋蔵文化センター」の遺跡情報管理に掲載されている位置と、「高知県中世城館跡分布調査報告書」に掲載されている位置が微妙に異っている。多くの場合、前者の位置が正しいので位置情報を入力する際に悩んだのだのを、間違った山に登って思い出した…。ということで、一旦間違って西の標高198mの山に登って散々歩き回った挙げ句に本来の城跡を見付けた次第。

末延城は標高198mの山の東にある丘陵に築かれている。南の尾根先に民家が建っており、間違った山から降りてきた所、ちょうど庭に出ていたご婦人に聞くと民家の直ぐ奥の山だと教えて頂いた。城は北の尾根を二重堀切で断ち切って独立させ、堀切に面して土塁を設けた主郭があり、南と東西に小段を設けている。東西には堀があったというが、畑にした際に埋めたということである。実はこの家は末延氏の末裔で、帰農して以来そのまま住んでいるのだと云う。末延氏の祖は物部氏であること、最後の当主小太郎の事など色々興味深いことを教えて頂いた。

案 内

県道221号線沿いを走っていると橋の所に案内板が出ている。橋を渡って右カーブとなるが、そこの左上にある家が末延家で、この奥に城跡が残っている。

最寄り駅(直線距離)
7.2km 夜須駅
7.8km 香我美駅
8.1km 西分駅
8.3km 和食駅
8.7km あかおか駅
所在地/地図
高知県香南市香我美町末延
付近の城(直線距離)
0.5km 土佐 末清城
1.2km 土佐 正延城
1.4km 土佐 山川土居城
2.0km 土佐 中西川城
2.7km 土佐 別役城
2.7km 土佐 福万城
2.9km 土佐 光国城
3.2km 土佐 堀の内城
3.4km 土佐 宗円城
4.0km 土佐 釣鐘城
4.2km 土佐 尼ヶ森城
4.2km 土佐 土居山城
4.4km 土佐 岩神城
4.5km 土佐 吉次城
4.6km 土佐 拝原城
4.7km 土佐 熊倉城
4.8km 土佐 城山城
5.1km 土佐 東十万城
5.4km 土佐 十万城
5.4km 土佐 萩野城
5.7km 土佐 中城
5.8km 土佐 国吉城(香我美町)
5.9km 土佐 下夜須城
6.4km 土佐 刈谷城
最終訪問日
2009年12月
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