築城年代は定かではない。和食氏の城で、南北朝期には和食孫三郎、戦国時代には和食親忠が居た。
天文年間(1532年〜1555年)頃になると安芸氏の所領となっていた。永禄12年(1569年)長宗我部元親が安芸氏を攻めたときには、安芸氏の重臣黒岩越前が5百騎を率いて金岡城を固めたが、三日ほどの戦いで支えきれず、安芸城へと退いた。
金岡城は芸西病院の北側にある城八幡神社のあたりに築かれていた。現在は圃場整備によって地形が大きく変わり遺構はない。案内板によれば、圃場整備される前の詰は現在よりも12mほど高い地形であったという。