山口中河原御茶屋が築かれた時期は定かではないが、貞享元年(1684年)には存在していたことから、それ以前、三田尻御茶屋などとともに参勤交代の制度化とともに築かれていたと考えられる。
萩藩主が参勤交代するときには、萩を出立後に萩往還を使って山口御茶屋で休憩(ときには一泊)して三田尻に向かった。
文久3年(1863年)4月毛利敬親は密かに居所を萩から山口に移すため山口御茶屋に入り、ここを仮住まいとして山口屋形建設を指示、元治元年(1864年)に完成したが、このときは入城せずに一旦萩城に戻り、山口屋形に入ったのは慶応2年(1866年)5月であった。
山口中河原御茶屋は菜香亭のあたりに築かれていた。菜香亭南の広場のところに案内板が設置されている。