周防 三田尻御茶屋すおう みたじりおちゃや
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三田尻御茶屋は承応3年(1654)に参勤交代の宿泊施設として建設されたのが始まりで、後に毛利重就の隠居所になった。
御茶屋の東隣には三田尻宰判の勘場が築かれていたが、これは後に岡村院内へ移された。
三田尻御茶屋は英雲荘と呼ばれ、これは隠居所として利用した毛利重就の法名から名付けられたものである。英雲荘は毛利家から防府市に寄付された後、太平洋戦争が終結したあと進駐軍によってダンスホールに改造されるなどされたが、現在はまた元の姿へと改修され公開されている。