文久3年(1863年)萩藩によって築かれた。 幕末の文久3年(1863年)萩藩主毛利敬親は密に萩城から山口城へと居所を移した。 これに伴い山陽道から山口に至る街道を押さえる為に設けられた砲台で、道の東西両脇に設けられていた。
勝坂砲台は国道262号線沿いにあり道路の東側のコンクリート法面に案内板が設置されている。この辺りは2009年に洪水の被害があり、国道262号線も長らく通行止めとなっていた。
砲台の遺構としては石垣と土塁が残っているようである。案内板の脇にある右田岳に通じる登山道を少し登ったところから登山道沿いに石垣が転々と残っているが、これが砲台の石垣であろうか。