長門 萩城ながと はぎじょう

城郭放浪記


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長門 萩城の写真
掲載写真数
形態
平山城(140m/140m)
別 名
指月城
文化財指定
国指定史跡
遺 構
石垣,土塁,郭,堀,井戸,土塀
城 主
毛利氏
歴 史

慶長9年(1604年)毛利輝元によって築かれた。 安芸国広島城を居城として豊臣政権で五大老を務めた毛利輝元は、慶長5年(1600年)関ヶ原合戦によって西軍の大将を務め、徳川家康に敗れた。輝元は防長二カ国へ減封となり、広島城を退去、城地の選定を行い、山口の高峰、防府の桑山、萩の指月山の三箇所を候補として幕府の許可を願い出て、指月山が選ばれた。

萩藩毛利を本家として、長門長府藩毛利秀元が六万石(のちに清末藩一万石が分藩)、周防下松藩(のち徳山藩)毛利就隆が三万石、周防岩国吉川広家六万石などの支藩があった。

文久3年(1863)萩から山口へ移り、翌年山口城を築いて本城とし、家臣の多くも萩から山口へ移っていった。

説 明

萩城は日本海に半島状に突き出した指月山の山麓に築かれている。

萩城の本丸は指月山の南山麓で内堀が巡っている。この一角に天守台があり、かつて五重の天守が聳えていたが、明治7年に払下げられ、天守や櫓などは全て解体破却された。 本丸背後にある指月山山頂には詰丸があり、土塀や石垣、無数の矢穴があいた岩などが残されている。本丸の外側には二の丸、三の丸があり、三の丸の東端にある総堀には北の総門が復元されている。

長らく毛利家の城下町として栄えた萩であったが、幕末に山口へ移っていったが為に、古い街並みが良く残されている。

隅矢倉の写真

隅矢倉(復元 櫓)


所在地: 萩博物館(山口県萩市堀内)

北の総門の写真

北の総門(復元 城門)


所在地: 山口県萩市堀内

案 内

大手入口に無料駐車場がある。

最寄り駅(直線距離)
1.4km 玉江駅
2.5km 東萩駅
3.1km 萩駅
4.3km 越ケ浜駅
5.4km 三見駅
所在地/地図
山口県萩市堀内
付近の城(直線距離)
1.1km 長門 萩藩 女台場
1.7km 長門 浜崎宰判勘場
2.3km 長門 面影山城
3.1km 長門 城ノ腰山城
5.8km 長門 横畠城
7.5km 長門 櫛山城
8.8km 長門 天長山城
9.3km 長門 鵜山の元寇防塁
9.7km 長門 東宗城
最終訪問日
2019年5月
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