元治元年(1864年)毛利敬親によって築かれた。 防長二カ国三十六万石の大名であった萩藩毛利十三代敬親によって築かれた。
毛利敬親は文久3年(1863年)湯田温泉への日帰り湯治と称して萩城から山口へと拠点を移した。 これは保守派に取り囲まれた萩では攘夷を実行できないことと、北に偏った萩では交通の便、海からの防御の面で不都合があったためである。 幕府に対しては山口屋形として申請していたが、背後には中世大内氏の詰城であった高嶺城があり、表には水堀を配していた。
山口城は現在の山口県庁の地に築かれている。表には屈折した水堀と石垣が現在も残っている。大手は石の土橋が架かり、大手門は山口藩庁門として県指定有形文化財となっている。
県庁の内部には藩庁時代のものではないが、大正時代初期の旧県庁舎と旧県会議事堂が残り、こちらは国指定重要文化財である。
表門(現存 城門)
薬医門様式 切妻 本瓦葺 県指定有形文化財山口県庁内の駐車場が利用できる。
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