詳細不明。
周慶寺山城は上山口駅の東に聳える標高141.2mの周慶寺山に築かれている。
山頂部の主郭となる部分に反射板が設置されている。北端の三角点のあるところが一番高く、反射板のあるところが一段低くなっているが、造成による削平とも考えられ、明確な段があったかどうかは不明である。曲輪は南側に低い段差を伴って続くが、南端は切岸も曖昧で堀切もなく自然傾斜で鞍部に至る。
主郭の北側は山崩れで大きく破損していて遺構は不明である。北東側には不明瞭な小さな段が数段、北西下にも土塁状地形のある平段が確認できるが、城郭遺構には見えない。
南峰側にも反射板が設置されているが、そこからさらに東に下るあたりに尾根を遮断するような堀切状地形Aが確認できる。反射板のあるピークは曲輪とは認識できず、この地形の性格も不明である。
麓にある善生寺があるところは、大内家臣内藤興盛の菩提寺西方寺があったところで、慶長9年(1604年)には毛利輝元の側室清泰院(二の丸殿)が葬られ周慶寺と改名。善生寺は明治のはじめに現在地に移転してきた。
善生寺南の墓地のところから山上に続く道がある。
最寄り駅(直線距離)