詳細不明。『未指定文化財総合調査報告書 史跡-中世-編』では「築・在城者」として江良弾正、宇野式部大輔倫友と記す。
七ツ尾山城は野田神社/豊栄神社、神福寺の北に聳える、南北に続く尾根に築かれている。
北端は標高250mのピークにある曲輪群I、南端は標高128mの峰にある曲輪群IVで大きく4つの区画に分けることができる。
曲輪群Iは最高所の主郭から南に向かって小さな段曲輪を備え、その周囲に武者走りがあり、西下に曲輪I2がある。北尾根は堀切1、西側面には竪堀I2、西尾根を下ると鳥居のところは不明瞭であるが堀切3となる。南尾根側には堀切は存在せず、南の鞍部から鳥居のほうに続くのは参道の堀底道である。
曲輪群IIは北と南の峰上に曲輪II1とII2があり、一段低い鞍部が曲輪II3となる。各尾根を堀切で遮断しており、南だけやや離れて二条の堀切がある。西の堀切II3は尾根を完全に遮断しておらず、中央から北側に竪堀として伸びる形状である。
曲輪群IIIは単郭となり、北端に土塁を設けて南北両尾根を堀切で遮断している。
曲輪群IVは最高所のIV1から西端のIV4まで四段の曲輪があり、なかでもIV4は東西約50mほどもある大きな曲輪で削平も丁寧である。南尾根は堀切IV3で遮断し、二条の連続竪堀IV4がある。北尾根は堀切IV1の先に土塁囲みの小郭と小さな堀切状地形があるが、用途は不明である。
野田神社/豊栄神社の東隣に神福寺がある。この寺の北側の墓地からそのまま尾根に進んで行くと尾根道があり、堀切IV2を経て曲輪群IVに至る。曲輪群Iの鳥居まで尾根道があり比較的歩きやすい。
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