天正18年(1590年)牧野半右衛門康成によって築かれた。 牧野康成は三河国牛久保城主で上野国大胡藩主となった牧野康成とは同族であるが別人で、三河国宝飯郡平井郷を所領していた。
天正18年(1590年)徳川家康の関東入部に従って足立郡石戸に五千石を賜り、川田谷に陣屋を構えた。
慶長4年牧野信成が家督を継ぐと、大坂夏の陣で大砲によって大坂城の櫓を撃破する軍功を挙げ、寛永3年(1626年)に二千石の加増、寛永10年(1633年)に四千石を加増され一万一千石となり諸侯に列した。 正保元年(1644年)下総国関宿に一万七千石で転封となると、二男牧野親成に石戸領五千石を分与した。
正保4年(1647年)関宿藩主牧野信成が隠居すると、兄が早世していたため二男親成が家督を継いだ。このとき石戸領五千石は信成の隠居領となった。 慶安3年信成が没すると、信成の三男尹成に二千石、六男永成、九男直成にそれぞれ一千五百石が与えられた。
川田谷陣屋は圏央道桶川北本icの料金所付近に築かれていた。料金所の東下にひっそりと取り残された薬師堂があり、これが牧野氏所縁のものという。陣屋の遺構は残っていない。